「自分の感覚や感性に基づいて考えよう」とか「感情を大事にしよう」と言いますよね。
ですから「自分の気持ちを大事にする」という考え方の傾向はより強くなっているかもしれません。
例えば片付けでも世の中とか家族にばかり合わせすぎますと自分の家なのに「居心地が悪い・・」ということのなったりするので、私も「自分の気持ちや声に耳を傾けましょう」と言っています。
ですが、
実は感性や感覚、感情ばかりを意識しすぎるのも大事なことを見失う原因になることがあります。
例えば片付ける際、収納から全部出すことを推奨していますが
「いちいち全部出すなんて面倒くさいなあ・・」とか「想像するだけで楽しくなさそう・・」という気持ちばかりを意識すれば片付けは進みにくくなります。
他にも「私って大雑把だしこういうの向いてない」とか「細かく分けるのは私には合わないと思う」といった感性や感覚も注意が必要です。
理由は、片付ける前の感情を優先しすぎると諦めたりやめてしまうこともあるから。
「片付けたい」「スッキリ暮らしたい」と言いながら行動できなかったり、続かなかったりする時、もちろん全てではありませんが感性や感覚、感情に重きを置きすぎて一歩が踏み出せない・・という方をたくさんみてきました。
ですがせっかく「本当は片付けたい、スッキリした家で過ごしたい・・」という感情がありながら、それで取り掛かれなかったり進まなくなってしまうのは、とても悲しいことだと思うのです。
片付け始めてみると、思っているよりも楽しかったり、手放せたり、スッキリした感覚を味わえるので、結局は感情や感性、感覚を大事にすることになるのですが、それは行動して見えてくること。
ですから片付け始める前から「面倒くさい・・」という感情で決めてしまって「やらない」にしてしまうのはとてももったいないと感じています。
やってみる前と後では、今思っていることも「違う」ことも多い。
だからこそ始めてみてほしいと思ってます。
少し話は変わりますが最近、古典を勉強を始めたのですが、その講義の中で先生がこんなことを話していました。
「根拠を持って確実に進めば解明される。
文学というのはつい研究方法がおぼろげになりやすい。
感覚とか、感性だけでやりやすい。
それはいいが、その前に確実に一歩一歩根拠を持ち進めていくことそれは自然科学の方法と同じ。そうやって進んでその後で味わえばいいだろう・・」
例えば私は学生の頃、
「古典」って必要なの?「文法」知って何になるの?
・・と、ちょっと乱暴なことを思っていました。
ですが今はそれが全くの思い違いだった・・ことを感じています。
文法も時代のことを知るためにとても大事で、言葉の前後に何があるか?で意味合いが変わったりする。そうすると解釈も変わってくるしその時の背景が違って見えたりする。
だから文法とかよくわからないし!と思っていても、先生のお話のように、根拠を持って解くと意味がわかって背景が見えたりする。そうすると感じ方も変わって楽しい!と感じるんですよね。
これってどんなこともおあん時だと思うのです。
例えば片付けでも最初は
「全部出すことに意味なんてあるの?」「なんでこんな面倒なことをわざわざ・・」
と思ったりしますが、全部出してみると気づくこと見えてくることがあるし
途中「こんなことで本当に片付くの?」と思っても、手順の通りに進めると闇雲にとりあえずしていた時と片付けた後感じる感情や感覚も変わる。
だから先生の言葉のように一つ一つ根拠を持って進めるというのは片付ける上でも大事なことで
「味わうのは、その後でも十分満たされる」
この言葉がとてもしっくりします。
片付ける時、全てを出すのも、
一つ一つに向き合ってわけていくのも根拠があります。
この手順を受け入れるから気づくことを感じる味わいがある。
だから片付けたくなるような自分に合う進め方を見つけてくださいね。
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