プロフィール

両親のせい?!

「片付く家で自信を持って暮らす人を増やす」お片付けコンサルタントつじた信江です。

今は片付けの仕事をしていますが、ずっと片付けが「嫌い」でした。

□面倒くさがりで元に戻さず、やりっぱなし出しっ放し、

□「何かに使えそう」と思うと何でもとって置いて捨てられない

そういう性格も相まって、よく両親から叱られていました。

片付けが苦手なことでよく叱られていた私でしたが、その特性は実は母によく似ていました。

片付けが得意でない母と割と綺麗好きな父は、よく喧嘩をしていて、その理由が片付けができていないことだったから

散らかっていることが嫌いな父から母はよく

「こんなものなんでとって置くんだ!」「そんな物とって置くから散らかるんだ!」

と言われていました。そんな時の母は、言い返す言葉がなく、ただ不機嫌になるだけでした。

母はずっと働いてきていましたが家事は女性がするものというイメージもあり

父と同じ時間働いていても家事は母が中心でしていました。

仕事と家事で忙しい母でしたが人に頼ることも苦手。

よく私と妹は家事を手伝っていたものの、母はあまり嬉しそうには見えませんでした。 

学校で友達と楽しく遊びが盛りあがり「この続き、学校終わったら家でやろうよ!」となると、私は下を向て、ごまかす子供でした。

というのは、私の家に友人を呼ぶのも、友人の家に行くのもダメという暗黙の禁止があったから。

親が留守だからという理由もあったともいますが家が片付いていないからという理由の方が大きかったです。

私が友人宅へ行くとなると「うちへも呼ばなければならない」と思っていた母は、私が友人宅へお邪魔するのも嫌がりました。

「散らかっていても家に連れて来ればいい」という父との間で喧嘩になることもしばしば。

そういったやりとりを見ることも嫌でした。

そして自由にできない窮屈さに負け内緒で友達の家に行ったり母のいない間だけ家に呼んだりしました。

母の居ぬ間に(笑)という若干のスリルと罪悪感がいつもありました。

そんな中、いつでも「ウチいいよ」と言ってくれる友達がいました。

遊びに行くと、友達のお母さんは笑顔で迎えてくれました。時には、お茶や手作りのお菓子を出してくれたこともありました。そのお母さんは、籐の籠を編むことが趣味。手を動かしながら、親子で楽しそうに会話をしているのを見て羨ましく思っていました。

私の母にも趣味がありました。洋裁学校を卒業していた母は服も浴衣も作れる人でした。

でも、それに取り掛かる余裕が、母にはなく作ろうと思って買った生地はそのまま。道具も探しにくい状態で雑然と置かれていました。

外へ意識が向きがちだった私は、遊びに行く友人のお母さんが、とても優しく素敵な女性に見えていました。

仕事ばかりで家にいるときはいつもイライラしている私の母とは違う!と羨ましく思いました。

家のことが、できなくなる度「仕事をしているから」と言っていた母。

そんな母に、父は「だったら仕事やめたらいい」と言い頻繁に喧嘩になっていました。

本当は応援したい

そんな父も仕事が続かない人でした。だから私は「母は仕方なく仕事をしている」と思っていました。(それでも辞めなかった母は、仕事が好きだったということ。今ならわかります。)

私の中で、母は仕事をしているから不機嫌で仕事は、その人の笑顔が無くなるくらい辛いことと思うようになりました。

そんな私も一度だけ「母の仕事」を応援したくなったことがありました。

私が小学校6年生くらいの頃だったと思います。 母が「都内で接客の仕事の面接を受けた」と言っていたことがありました。

結果を待つ母は「遠いし、きっとダメよ」と言いながらも、とても嬉しそうでした。

「もしそうなったら、あなたたちにも負担をかけるかもだけど、ごめんね」

という母に、私と妹は「お母さんすごいじゃん!応援するから頑張って!」と言いました。

いつも忙しそうで、大変そうな母が笑顔で話す様子を見て自然と「応援したい!」そう思いました。

その後、母はそのお仕事に合格。とても喜んでいました。

でも、母は、その仕事をすることはありませんでした。

理由を聞いてもその時は「遠いからね」というだけでした。

そのことが、ずっと気になっていた私は大人になってから母に「働かなかった理由」を聞いてみたことがあります。当時、父から

「今でもちゃんとできてないのに、遠くなったらますます家のこともできず、もっとひどくなるのではないか?」

と言われたのだそう。母は

「やってみたかったけれど、父が言うことも当たっている。」そう思って

「私ではできない。きっと無理だ。」

と思ったのだそうです。

やったとしても、いろいろ言われるのも嫌だし・・と諦めてしまったのだそうです。

でも、「やってみればよかった」と言っていました。

その当時、初めて仕事のことを「笑顔で話す」母を見て「笑顔の母を、もっと見たかった」という気持ちと、「あんなに喜んでいたのに…」と、少し寂しく思ったことを思い出します。

その後も、母は近場で転職もしながら働き続けました。

でも、私が見ていた母は、あの時のような笑顔はなく、仕事から帰ると不機嫌なまま

そんなことが続くうちに、いつしか私は

母のように、なりたくない。

と思うようになりました。

憧れた専業主婦。なのに・・

母は、家事を抱え込みながらも「父が何もしない」「何もしてくれない」と嘆いていましたし、父も何か探し物をするたびに「片付けもできない」と、母を責めイライラしていました。

もちろん、子供の頃の思い出は、こんな風に暗~くなりそうなことばかりではなくて(笑)楽しいこともたくさんありました。

でも、互いの悪口を言いながら過ごす家を、私は居心地よく感じませんでした。

「早く家を出たい」と思うようになりました。

その気持ちは、バッチリ私の態度に出ていたようでw母との折り合いは悪くなりました。

そして、大学卒業後の就職と同時期に住むところを探し、妹と一緒に住み始めました。

・・

私と折り合いが悪くても母はやっぱり寂しかったようで家を出ることにいい顔はしませんでした。

でも、妹と暮らすために必要な日用品や食器を買い揃えてくれたくさん手伝ってくれました。

妹と暮らした最初のマンションはベッドくらいしか物がなく、私は出張が多い仕事だったので家にもあまり帰ることもなく(笑)結果、散らかるのは洋服くらいでしのげていました。(会社のデスクは・・・乱れてましたけどw)

出産を機に退職してからは子どもの頃、憧れていた友達のお母さんと同じ専業主婦になりました。

片付いた部屋で、好きなことも楽しみながら手作りのお菓子でもてなす暮らし

そして、家族に笑顔で接する優しいお母さんになりたい!と思っていました。

当時の写真を見ると、決して片付けが得意そうではない(笑)のですが、来客時には出ているものを見えないところへ押し込み友人を呼んだり子供達が行き来したりそれなりに楽しく過ごしていました。

子供が四人となり賑やかで楽しくもありましたが漠然とした「生きにくさ」も感じていました。そして、たくさんの思い込みも自分自身を苦しめました。

例えば

「働かずに家にいるんだから、家のことはすべて私がやるべき」

「母は家族のために我慢すべきだ」

「自分だけが楽しんではいけない」

「夫に迷惑かけてはいけない」

そんな思い込みから、できないのに家事も育児も抱え込む

頼り方がわからず「子供のため」「夫のため」という名目で我慢を重ねる日々。

すると、不満はどんどんたまって

「夫も子供もわかってくれない」

「いつもいつも私ばっかり」

「私はこんなに我慢しているのに」

という思いで、いっぱいになっていきました。

状況を変えたい

「そんな状況を変えたい」とは思っていても

「家族がやってくれたらもっと良くなるのに・・・」

「もっとこうしてくれたら違うのに・・」

 主体性なく環境誰かのせいにしていました。

憧れた専業主婦なのに…。

片付いた部屋で好きなことも楽しみながら手作りのお菓子で、もてなす

笑顔の優しいお母さんでありたかったはずなのに…。

強引に片付けて、家族と喧嘩

あれもこれもと、選べない趣味。

思うようにならないことにイライラしている不機嫌なお母さん。

気がつくと、あんなに嫌がっていた母のように不機嫌でいる私がいました。

不機嫌でいることで夫婦の会話も減っていき夫は、仕事が忙しかったこともありだんだんと家に帰ってこなくなりました。

夫婦のバランスは崩れ始め私がふさぎがちになると、家族の中の空気も張り詰めたものになっていきました。

そんな状況を「変えたい!」と仕事を始め、興味があった心理学や心のことを学びやカウンセリングに通ったりもしました。

でも、私が変えたかったのは、自分ではどうにもできない状況相手のこと。

相手に合わせて我慢したり、我慢できず(笑)攻撃したり。

そして、関係は修復できないまま、夫は単身赴任で海外に行ってしまいました。

「このまま相手が変わることを望んでいても何も変わらない。」

「家族のためとかでなく、まずは自分が心地いい環境を自分で作りたい!! 」

「楽しく暮らす笑顔の私になりたい」

と片付けを学び始めました。

2016年春から2022年春までの6年間ライフオーガナイザー®︎として活動しました。

どんな暮らしがしたいのか?

「自分がどんな暮らしがしたいのか?」

これまで周りばかりに意識が向いていた私には苦しく感じる問いでもありました。

ですが自分の暮らしは自分で舵をとると決めたことで、

自分にとって大切な物の基準・手放す物の基準が絞られて家中の物が、どんどん片付いていきました。

思考の整理「自分がどんな暮らしをしたいのか?」を目指して進めていく片付けは自分の持っているものを全て出し俯瞰します。片付けていく工程の中で私は大きな変化を得ていきました。

『全てを出す』という作業からはこれまで「ない」と思っていたものがみつかることもありました。同じものばかりを集めている自分自身のがみつかることもありました。

『分ける』という作業では自分と人を分けることをしました。そのおかげで自分にしっくり来る方法を知ることができました。同時に、それは「自分以外の人にもある」ということを改めて意識できる機会でもありました。

『選ぶ』という作業からは自分の大切なものと必要なものを知ることできました。また、手放せなかったものに対する思いに向き合うこともできました。

『収める』という作業からは、自分に合う戻しやすさを知りました。そして、自分とは違う家族の癖を知ることもできました。

『維持する』という作業からは、毎日少しの努力だけで大丈夫なこと。そして「少し」を続けることで大きな変化があることに気が付きました。

こうした目に見えるものを片付けていくことで、目に見えないものが片付いていくとおっしゃる方も多くいらっしゃいます。

私もその一人。

『すべてを出す』という作業からは、

ないと思っていた周りからの優しさに気がつくこともあります。

『分ける』という作業からは、

自分にはどうにもできないことがあるということを改めて知ることができることもあります。

『選ぶ』という作業からは、

心地よい環境や人間関係を選んだり反対に、理不尽な関係は手放す選択ができるようになります。

『収める』という作業からは、

自分ができることを感じ自分に自信が持てるきっかけになることもあります。

「幸せ」は、どこに?

私は、ずっと「幸せはにある」と信じていました。

そして、我慢したり、外へ求めたり誰かに叶えてもらおうとしたりしてきました。

だけど、「幸せ」は先にあるのでなく今を幸せに生きることだと感じています。

今、自分が暮らしている状態を心地よくすることだと感じています。

笑顔で暮らせるかどうかは「働いているから」とか「子供が多いから」とかは関係がなく 自分がどう過ごすか次第でした。

そのために片付けとても有効な方法でした。

そうして私は昔は見えないものが見えるようになりました。

昔は気付けなかったことに気付けるようになりました。

子供の頃、片付かないことで家事が回らなくなり、誰にも頼れないと決めて抱え込んでいた母。

趣味を楽しむ心の余裕もなく、溜まって行く家事。

「できるはずがない」と言われるまま、好きな仕事を諦めたように見えた母。

そして今思うと

母には「やっていたこと」「できていること」「素敵なところ」が実はたくさんありました。

お部屋は乱れていても、今と変わらずトイレ掃除は良くしていました。

新聞にあるお料理レシピをわざわざ、切り抜いていました。

レシピの中で、私なら飛ばしてしまいそうな細かな過程も丁寧にやっていました。

いつも丁寧に洗濯物をたたんでいました。

毎日の料理や洗濯、朝練のある私と妹のお弁当を毎日作り続けてくれました。

私たちのために、日々一生懸命に家事をしてくれながら、私たちのために働き続けた働き者です。

「片付けが苦手」と、ご依頼いただく方たちも綺麗にしているところや、できていること、素敵なところが実は沢山あります。

例えば、部屋が雑然としていて片付けができていなくても、窓枠の掃除ができていたり。洗濯物が綺麗に畳まれていたり。お料理が得意だったり。お鍋の裏までピカピカだったり。そういった片付けとはの「できている家事」がある方もいます。

他にも、「お子さんとのやりとりがとても優しい」や「ご家族思い」「おもしろい」など。

それぞれみんな「素敵」で「魅力的」なその方らしさを持っています。

でも、その魅力がありながら「片付けができない」だけで、「やってあげられていない」と思い込んでいる方達がいらっしゃいます。

人から「できない」・「ダメ」と言われたことで、自分を責めてしまっているとしたら、とても悲しいことだと思うのです。

自信を持って暮らす

人ってそもそも優劣なんてなくってフラット。

いいところも、ダメなところも、どちらも持っているものだと思うのです。

だから自信を持って、暮らして欲しい。

家事も片付けも一生共にあるもの。だとしたら苦しみながらでなく楽しんで欲しい。

片付けの心配をせず、好きなことに力を注いで欲しい。

そのためにできることをお手伝いしたいと思っています。

私の母のように「自分は片付けができない」と思い込んでいると 

せっかくその人が持っている素敵なところにも気がつきにくくなります。

どんなに理不尽なことが起こっても自分を責めて我慢してしまったり、

自信をなくして「本当はやってみたいこと」にチャレンジする勇気が出せなくなったりすることもあるかもしれません。

片付く仕組みができていたら、きっと私の母も「できる自分」を信じることができていたのだと思います。

父に言われるまま諦めることなく「やってみたかった仕事」にチャレンジできていたかもしれません。

「好きな仕事をして笑顔で過ごす」こともできていたかもしれません。

もしかしたら、本当は父も私たち娘も頑張り屋の母に頼られたかったのかもしれないし

母がしたいことを応援したいと思ったかもしれません。

「もしできるなら、あの時の母に、この片付けをとどけたい。」これまで何度もそう願ってきました。

片付けて得られたこと

「片付ける」という作業は、自分で選ぶ作業なので実は主体的でないとできないことです。

例えば、「好き」や「嫌い」という判断も「使いたい」や「手放したい」の選択もすべて自分で選ぶ・決めることが必要だからです。

片付く仕組みは、そこに住まう家族が自分でできることを感じてもらえる仕組みでもあります。私自身も「片付け」ができるようになって暮らし方が変わりました。

片付けの「分ける」という作業から自分では変えられないものがあるということに気づきました。

自分の中の大切・必要がないというものがわかって自分が大切にしたいことを選べるようになりました。

思い込みを手放すことで、家族を信頼してお任せができるようになりました。

そして「ない」と思っていた幸せな暮らしに気がつくことができました。

私に余裕ができ笑顔が増え日々の暮らしを楽しむようになりました。

一時は、本当に「ダメになる。」と思っていた夫婦関係。

私一人が頑張っているように見えていたことも、お互いで「していた」ことにも気がつくことができました。

「笑顔でいることができていない。」

「イライラしていて、家族と喧嘩になるようなことがある。」

そんな風に感じることがあるなら「片付けから始める」という方法もあると思うのです。

いろんな方法を試したけれどもいつもリバウンドしてしまうという方。

評判の収納グッズを買っても無駄にしてしまったという方。

これまで、そういう方たちへ片付けのサポートをさせていただきました。

もともと、その方たちが片付けを「大変で苦痛だ」と思っていたのには共通した理由があります。

それは「自分に合う片付け方法を知らずに片付けていた」ことです。実は、片付けの方法はいろいろあります。

自分に合わない方法で、うまくいかなかったことで「自分には、片付けができない」と思い込んでいる場合も、あります。

その証拠に、その方たちは「以前の様子が思い出せない」くらい「散らかっても戻しやすい家」をつくられていきました。

これまで片付けのサポートをさせていただいた方々からは

「片付けたことがきっかけで視点が変わって、暮らしが変わりました。」

「不安だった仕事復帰も、片付けたことで気持ちよく準備ができました。」

「仕事復帰後も片付けられていることが嬉しいです。」

「子供や夫がやってくれない。と思っていたことが気にならなくなりました。」

「家事や育児のことでいっぱいだった自分に気がつきました。」

「心地よい空間になったことで、笑顔が増え、夫婦関係が良くなりました。」

「片付け、嫌いじゃなかった!と思い出しました。」

「忙しいけれど、『私そこそこ頑張れてる。』と思えるようになりました。」

など様々な声を頂いています。

「片付かなくて、生活しにくい」から片付かなくても戻せるので、心地よく生活できるようなった方。

「散らかす家族にもイライラ」から、家族が片付けをしてくれるようになった方。

 「片付かなくて家族と険悪になる」から家族との会話が増え笑顔で過ごすことが増えた方。

これまで片付けの相談やサポートの中でそういったお客様の気づきや変化に立ち会わせていただいています。

散らかっても元に戻しやすい仕組みは、あなたが忙しい時、疲れた時にあなたを迎え、空間と気持ちのゆとりをくれます。

「片付け」で暮らしを快適にするということは「環境を変える」ということと同じことです。

自分と人とは違う。でもどちらもいい。「自分がありたい」「したい」を選ぶ人生「片付け」からも始めることができます。

今より素敵な毎日を過ごす!と決めた女性のためのお片づけ

人生を変えたい!という方へお片づけから応援します。 

お片付けコンサルタント/イメージトレーナー