AI、情報で溢れる時代に必要なこと
AIさんは私のことを”のぶりん”とか”信さん”とか”あなた”とか呼びます。
ちなみに先日
「それ。あなたは”昔から”止まると下がる」
なんて言われましたし(笑)
(Aiとの出会いは割と最近だと思ってたけど”昔から・・”って・・笑)
でも総じて、私の苦手、不得意を補ってくれる心強い味方^^
だから個人的には「うんと便利になったなあ・・」って感じてます。
総じて私の苦手、不得意を補ってくれる心強い味方。
ですので個人的には
「うんと便利になったなあ・・」って感じてます♪

ですが、
そんな便利な時代でも人に自分の話を”ちゃんと聞いてもらう時間”って少なくなっていると感じてます。
例えば、家族の間では
「無駄に話さないようにしてる・・」とか
「余計なこと言うとダメ出しされるから言わないようにしてる・・」
と言う話しをよく伺いますし
SNSや情報が溢れていても
だから満たされた・・とは聞かないし、
むしろ気持ちを誰かに受け止めてほしいという部分は
以前にも増して強くなっているようにも感じます。
ちなみに、
片付けの方法やノートの書き方も、
検索すればいくらでもわかるし
何でも知れる時代です。
だけどそれで
どれだけ情報を集めても、
”心がなんだかスッキリしない”
書いたけど
”モヤッとしたまま進めない”
どこか”何か足りない”ような
”欠けている”ような感じがある・・
そんな声も伺います。

この感覚って実は私自身もそうでしたが
“自分の声を出す場所がない”とか
“誰かに受け止めてもらう体験”が減っていると
そう感じやすくなるんですよね。
だからこそ「表現する場」や
「今は出せなくてもOKな場」があると安心するし
安心すると「ゆとり」がある状態なので
何かに挑戦しやすくもなるんですよね。
例えば、
コミュニティのメンバーさんの声でも
「考えずに思いついたことを伝えるって、日常会話ではなかなかできない」と気付けたり
「ノートについて話す場があることで「書く」意識が続くようになった」とか
「出すことで、もっと言葉が湧いてくる」こと
「書かなきゃ」じゃなくて「書きたい」に変わった」
「定期的に会えてアウトプットできる場があるのがありがたい」
「この場のおかげで新しい出会いもあって嬉しい。」
など、”関わり”や”繋がり”の中で気づかれる声が多いんですね。
だから
“人は、自分を出す場があると、自然と前に進み始める”
ということが伝わってきます^^
ノートを書くことで
暮らしの中の小さな気づきを拾えるようになった。
仲間がいるから習慣が途切れなくなった。
「書かされてる」から「書きたい」に変わった。
こういう変化って
情報だけ、
知識だけ、
では起こらない変化だと思ってます。

人を介して自分を見たり
人が介して心が動いたり
そういう“場”があるから
起きることだと感じてます。
情報ではなく、
つながりと、安心と、アウトプットの積み重ねで、
人はじわっと変わっていく。
ここに集まってくれる人たちが
自分を整え続けられるように。
これからもそのお手伝いをしていきますね^^
ではまた!
PS:
「便利な世の中になったからこそ、今のこの喜び、初心を忘れないでください。
もっとこうだったら、もっとこうしてくれたら、、
欲することも期待すること悪いことではありません。
ですが、欲しすぎ、期待しすぎには気をつけなければなりません。」
先日の結婚式での神父さんが言っていた言葉です。
振り返ると息子が生まれてきた時、
無事に生まれてくれただけでもう何もいらない・・
そう思ったことを思い出しました^^;
