マザー・テレサが言ってました。
(失礼。。正確には、昔、読んだマザーテレサの本にそう書いてありました)
愛の反対は、
「無関心」だと・・・。

「関心」とは?
<関心とは?>
『気がかり。特に、興味をもって、注意すること。関心を持つ』とのこと。
と、聞いて、思い出すのは・・
子供の頃、親や周りが「自分に関心を持ってくれない」ことが嫌だったこと。
そしてそれは続いていて
社会人になれば対象は上司や同僚になり
結婚すれば夫や子供たちへと
関心を持ってほしい相手は替わっていきました。
表で飄々としていても、心では
「もっと私にも関心(愛)を向けてよ・・」
と思っていました。
ですが、
言えない。。
理由は
「関心を持ってもらいたい‥」だなんて
“かまってちゃん”みたいで格好悪いですから^^;
だから、
気持ちをしまいこみ
蓋をし、見えないように隠してきました。
そう、
お部屋と同じですね。。

筆者の場合は
隠したことが炎症を起こし
問題として現れたおかげで
自分と向き合わざるおえなくなったのですが・・・
結局は隠してきたつもりでも
溢れ出てたと思うので
それが「不機嫌」という形で現れていたのかもしれません。
そうして初めて
自分と向き合うと
意外なことが見えてきたんです。
自分はどうなのか?
何が見えてきたのかというと
自分です。
あれほど蓋をしてきた
関心を持ってほしい!
かまって!愛して!という気持ち
わかってほしくて
角度を変えて
人や物事へぶつけてきたけれど
はたと気づいたのです。
はて?
これ、私はどうなんだ?
と。

関心を持たれない
興味をもってみてもらえない、、
って、私は?
相手、物事に対して、
果たして私は
関心(愛)を寄せていただろうか???
と。
自分の気持ちは
穴があくほど見てるけど
そのままの相手をみているだろうか?
相手の背景を関心を持ってみただろうか?
起きたことに至るまでの道筋を
興味、関心を持って見ようとしただろうか?
と考えるようになったんです。
それからです。
パタパタと現実が変わり始めたのは。
「正しさ」って?
「私は間違ってない」
そう強く信じる自分を疑い
正しさの蓋を開けることができたのは
自分の内と外とを整えていく学びと
実際に心地よさを感じるようになった
家と心の「ゆとり」からでした。

物を片付ける時、
実は様々な壁を感じます。
例えば、
つい買ってしまう買い物の傾向
持っているものの偏り
捨てられないと感じる理由
家族に対しての反応など
自分しかわからない、
自分しか知り得ない
大事な価値観が
片付けの壁になっていることがあります。
そこに自分が気づくと
心が緩み空間だけではなく
心にも「ゆとり」が増えていくのです。
ゆとりがあると
ゆっくり自分の好きなことに向き合うことができますし
嫌なことに惑うこともなくなり
自分にとって心地いい状態で暮らすことができるようになります。
ですから
「快適」「心地いい」暮らしを知る
って大事なんですね。
これからも
大事な人と
大事な物事に触れ続けていくために
自分のと暮らしを整えませんか^^
PS:
先日、とても嬉しい報告をいただき
とても幸せな気持ちになりました^^
とっても頑張っていて
とっても素敵な人だから
本当に嬉しくて・・・((*´∀`))
ご報告をいただける仕事が喜びです^^